病と生きる 漫画家・まつもと泉さん(50) 80年代に一世風靡した漫画「きまぐれオレンジ★ロード」の作者、まつもと泉さん(50)は新連載を控えた平成11年、頭痛や吐き気などの症状を訴え、仕事をストップした。5年後に「
脳脊髄液減少症」だったことが分かるが、病名が分かるまでの道のりは険しかった。病気を克服した今、患者への理解を深めてもらおうと自らの闘病をテーマにした漫画の制作を進めている。
10年前、新連載を始めようというときに体調が悪くなり、首とか頭、上半身がギューンと締め付けられるような痛みがやってきました。
整形外科、心療内科、歯科などを転々としました。僕は歯の噛み合わせが原因だと思っていたし、家族は精神的なものというわけですよ。体力をつけようと、ジョギングをして動き回ったことも。健康になると思ったのに、頭痛で立っていられない状態になりました。入院もしたんですが、退院するまで3日間くらい眠れなかった。あまりに体調が悪いんで、連載は無期限延長になりました。
1、2年後には、通院もあきらめた。疲れ果て、家の中で引きこもり状態に。テレビを見ても、家族が笑っているのに僕は全然笑えなくて。
今はこうして笑って言えるんですけど、そのころは人に会うのも辛かった。でも、自分のサイトの掲示板でファンの方が心配してくれ、励ましの言葉を書いてくれた。こちらは辛くて書き込めないんだけれど、それが本当に救いで、自分と外の人をつなげる唯一のツールでした。
16年、姉が「
脳脊髄液減少症」を紹介した新聞記事を僕に見せてくれた。あまりにおどろおどろしい病名で、自分の症状とは結びつかなくて。でも書かれていた症状は自分と同じだった。ダメもとで山王病院(東京都港区)の脳神経外科に行ったんです。
検査を受けたら、髄液漏れが見つかりました。僕は4歳のころ、交通事故に遭った。
患者の過半数は交通事故が原因でなるといわれています。もともと体調は崩しやすかったんですけれど、過労や年齢で症状が出てきたんでしょう。
治療は
ブラッドパッチといって、静脈から抜いた自分の血を髄液が漏れている個所に注入し、血のりで穴をふさぐ。血はやがて吸収されるんですが、体が血に反応して組織を再生させていくんです。
1回で治る人もいれば、何度やっても治らない人もいます。僕は4回で、ほぼ病気になる前の状態に戻りました。ウロコが剥がれていくように苦痛の皮が剥がれていって、そういえばあそこもここも気にならなくなってきたな、という具合です。
死に至る病気ではないんですが、死んだ方がマシと思わせる。変な病名を付けられ、膨大なお金や時間を使う人もいます。
加害者や保険会社からは、ゆすっているとか怠けていると思われる。病気の苦痛と病気を理解してもらえない苦痛。今は検査で分かりますが、前は理解してもらえないことが一番苦しかったのではと思います。
応援してくれたファンや患者さん、出版社に恩返しをするため、今、闘病記を描いています。今までは読者を楽しませるということでしか漫画を作ってこなかったんですけれど、今度は自分に起きたことを描く。僕はたまたま漫画家だったので、漫画で訴えるべきだと思ったんです。
苦しんでいる患者に少しでも光になればいいし、この病気のことを多くの人に知ってもらいたい。
特にドライバーにはうかつに事故を起こしてもらいたくない。やがては治るかもしれないけれど、その人の大事な時間やいろんなものを奪ってしまうわけですから。事故を起こさないことがこの病気に対する何よりの治療なんです。
名作、きまぐれオレンジロードの作者が脳脊髄液減少症だったとは。
最近になって、脳脊髄液減少症も結構取り上げられるようになり、一般的に認知されはじめました。硬膜外ブラッドパッチも有効な治療法として知られ始めましたから、診断さえつけば治療もできるようになりました。
交通事故などの後でこのような症状が出た人、お近くの病院へ。
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