県内初脳死臓器移植 「いのち」万全リレー 脳死下の臓器提供を受けた県内初の移植手術が九日、獨協医大病院で始まった。提供者の尊い「いのち」は関係者の万全な連携によって無事にレシピエント(移植患者)にたどり着き、同病院関係者らは手術の成功を祈った。
九日午前、日本臓器移植ネットワークから連絡を受けた獨協医大病院は急きょ、移植チームを招集。間もなく胸部外科の男性医師二人を、臓器提供者のいる関東地方の病院に派遣した。
摘出手術に立ち会った医師チームは午後八時二十分、新幹線でJR宇都宮駅に降り立った。臓器の入った水色の専用ケースを二人で運び、改札を通過。県臓器移植コーディネーターの先導で、待機していた宇都宮市消防本部の救急車に素早く乗り込んだ。サイレンを鳴らして出発する救急車。コーディネーターは深々と頭を下げ見送った。
午後八時四十三分、壬生町北小林の同病院に到着。救急車は白衣の医師、看護師らが待ち構えた救命救急センター入り口に横付けされ、救急隊員が後部ドアを開けると、医師団はレシピエントの待つ手術室へ直行した。
同病院事務部によると、
脳死肺移植などの経験を持つ三好新一郎教授を中心に心臓血管外科医、麻酔科医ら十数人のチームが編成され、これまでに何度もシミュレーションを重ねこの日に備えてきたという。
対応に追われていた同事務部職員の一人は「手術が何とか成功してほしい」と願っていた。
脳死移植:無事終了、執刀医「うまくいった」 壬生町の独協医科大学病院で9日から10日にかけ、県内では初めてとなる脳死臓器移植が行われた。関東地方の医療機関に入院し、9日に脳死と判定された30代の男性から摘出された肺の一つが、30代の男性じん肺患者に移植され、手術は無事終了した。会見した執刀医の三好新一郎教授(57)は、「うまくいったケース」と笑顔を見せた。患者の容体は、比較的良好に推移しているという。
独協医大病院の説明によると、日本臓器移植ネットワークから最初に連絡が入ったのは9日午前1時50分ごろ、三好教授らの移植チームは直ちに準備を開始した。
チームは、肺移植を受けるために2年10カ月間待機していた患者本人と家族に連絡。手術を受ける意思を再確認した後、午前7時ごろから本人への事前説明(インフォームド・コンセント)や、麻酔の適性検査などを行ったという。
患者は同日午後、まず自分の傷んだ肺を摘出する手術を受けた。そして、脳死の臓器提供者(ドナー)から提供された肺が到着した午後9時過ぎ、移植手術が始まった。手術は日付をまたいだ10日午前2時前に終了した。
ドナーの肺は、移植を受ける患者(レシピエント)の肺よりも大きかったため、技術的に難しい手術だったという。だが、三好教授は「ほぼ予定通りに進められた」と胸を張った。
三好教授は、前任地の大阪大で生体肺移植1例と、脳死肺移植4例の手術を行った実績があり、今回が6ケース目という。
同病院ではこれまで
脳死移植の実施を想定し、他大学で研修を受けるなどして訓練を重ねてきた。移植チームには各科から医師が集まり、ドナー、レシピエント側でそれぞれ担当を分け、連係を密にすることを心がけてきたという。三好教授は「シミュレーションの成果が生きた」と笑顔を見せた。同病院は今後も、肺移植を手掛けていく方針。
移植手術を受けた患者は現在、移植肺の血管から水が漏れ出す症状がみられるという。だが、「肺移植では一時的によく経験すること。徐々に改善しており、おおむね良好」と三好教授。
患者は順調にいけば、人工呼吸器が1週間ほどで外され、リハビリなどを経て、早ければ約2カ月で退院できる見込みという。
ただ、三好教授は「退院まで結果は分からない。拒絶反応や感染症の恐れはこれからで、注意深く術後管理をしていく」と、気を引き締めていた。
おお、大きな一歩。
脳死臓器移植も全国で行われるようになってきてますからねぇ。あとは脳死臓器移植に関してもっと広い認知と、国民の意思表明が必要ですね。今の医学じゃ絶対に治せない疾患を、移植によって治すことができれば。
この日のために着実に準備し、シミュレーションを積んできた獨協医大の胸部外科に拍手をおくりたいです。
医学処:75例目の脳死判定。心肺肝腎膵を移植へ。医学処:76例目の脳死臓器移植。10代女児から60代男性に提供。