結果出す、プロとして 卓球男子・岡紀彦 名刺の肩書は「卓球プレーヤー」。日本で初めて障害者卓球のプロ選手になったのが、
岡紀彦(44)だ。
生まれつき骨が弱く、身長125センチ。8歳で車いす生活になったが、中学校で卓球に出会った。「幼いころからスポーツ選手にあこがれていた」。手先の器用さには自信があり、頭角を現した。
ジャパンカップ21連覇。しかし、ベスト16で敗れたシドニーで、世界の壁の厚さを痛感した。「外国選手とは練習環境の違いが大きい」と、02年、プロ宣言。だが06年末、スポンサー企業の卓球部の廃止に伴い、契約が切れた。
新たなスポンサーを探す一方、貯金を切り崩しつつ、講演やイベント出演などの臨時収入で活動を続けている。
昨年、大きなルール変更があった。座面から尻を上げることが禁止に。これまでは尻を浮かし、腕を伸ばすことで体の小ささを補ってきた。
ラケットのグリップの先端を瞬間的に持ち替えることで遠い球にも届くようにと、練習を重ねる。これまでと違う動きに、右の肩やひじが悲鳴を上げる。「でもプロである以上、結果を出すのが仕事。最低でもベスト8。そのうえでメダル争いに絡みたい」
練習場にしていた岡山市内の体育館の指導員だった妻博子さん(42)と結婚し14年。博子さんもチーム監督として北京に同行する。
「彼の夢に私も一緒に乗せてもらい、楽しませてもらっている」と博子さん。
「
障害を持った子どもたちに、人生の選択肢を増やしてあげたい」と、岡はプロの誇りをもって北京に乗り込む。
男子卓球・岡、緩急自在の頭脳プレーで好発進 最終の3ゲーム目、勝負を決める11点目をとった瞬間、男子(車いす)の岡は力強くガッツポーズした。1次リーグ初戦。ベスト16に終わったアテネで敗れたコウ(香港)に
3―0の完勝。後ろで静かに見守っていた監督で妻の博子さん(42)に近づき手と手をタッチ、表情が和らいだ。
「あえて強く打たず、意識的に遅いボールを織り交ぜた」。相手のペースを乱す緩急自在のプレーで、好スタートを切った。
先天的に骨が弱く、身長125センチ。「頭を使わなければ勝てない」と高い技術に加え、北京に参加予定の選手のビデオをすべて取り寄せ、分析。体格面の不利を補った。
小さいころは骨折の連続。パワー系のスポーツは無理だった。中学のころに出会った卓球にのめり込んだ。
21年連続日本チャンピオン。44歳のベテランは02年、
日本初の障害者卓球のプロになった。障害者スポーツの世界では草分け的存在で、ニックネームは「
小さな大巨人」。
しかし、北京までは苦難の道のりだった。
スポンサー企業の卓球部の廃止で契約が切れ、この1年は貯金を取り崩しての生活。尻を上げて打つことを禁じたルール変更も小柄な岡にはこたえた。「北京は無理かも」。そんな思いが頭をかすめた。
博子さんは「やりたいことがあり、やれるチャンスがある。だったら徹底的にやってみれば」と励ました。「私と違って単純に物事を考えるんです」と笑う岡に、博子さんは「こんな人生、なかなか送れない」。
9日には決勝トーナメント進出をかけた試合がある。二人三脚が続く。
北京パラリンピック 岡と別所はグループリーグ敗退 北京パラリンピックの卓球競技が9月7日に開始された。日本から出場した岡紀彦と別所キミヱはいずれもグループリーグ2位となり、決勝トーナメント進出はならなかった。
岡は、初戦でクォン(香港)に完封勝ちしたが、続く第2戦でマルタン(フランス)にストレートで敗れた。この結果、1勝1敗の2位となり、グループリーグ突破ならず。
別所は、第1戦で逆転勝利を飾ると、第2戦でアブアワド(ヨルダン)と大接戦を展開。第3ゲームからジュースの連続となるが、わずかに及ばずゲームオールジュースで競り負けた。最終戦は快勝したが、2勝1敗の2位で惜しくも決勝トーナメント進出を逃した。
残念…!
4年前負けた相手に3-0で勝利し、これはもしやと思いましたが、決勝リーグ進出ならず…。いや、お疲れ様でした!
先天性骨形成不全症で、他の外国人選手より圧倒的に体格に恵まれず、しかもルール改正によって更に不利な展開になってのパラリンピックでした。
でもそんなことより、やはり練習設備やメニューの充実など、プロ選手をサポートする体制が整っていないのが一番大きな敗因ではないかと思います。
日本って国は、なんか介護に関して、力を注いだり介護に理解を示している
フリをしつつ、実際は黙認してるような気がします。障害者スポーツに国や企業が、力を注いでいますか。先進国にあるまじき「力の入れよう」ではないですか。
前のスポンサーだったところというのはおそらく健勝苑でしょうか。健勝苑は卓球に異常なまでに資金を提供していましたからね。今でもスポンサーはいないのでしょうか?
「勿体ない」、そう感じます。逸材を、障害があるという理由だけでほったらかしにする日本に憤りを覚えます。
障害ある子供に夢を持たせようと努力する岡選手。対して障害者に「無関心」を決め込む日本の国と企業。いや、国と企業を構成する「人」も。
岡紀彦選手のモットーは「
正しい努力の継続」だそうです。
我々も、正しい努力を、してみませんか。
岡紀彦選手の今後の活躍を期待しています!パラリンピックお疲れ様でした!
参考youtube
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