2008年04月13日

医学ちょっといい話

命つないだ橋

 5日に架橋10年を迎えた明石海峡大橋に特別な思いを抱く父親がいる。開通半年後、保育園児だった長女が生体肝移植を受けるために徳島市から京都市まで「特例措置」で橋を渡って救急搬送された。一命をとりとめた長女は、絵を描いたりピアノを弾いたり、懸命に生きたが、4年後に10歳で亡くなった。この時の搬送を機に消防は広域搬送の基準を見直した。娘が生きたのと同じ年月を経た橋に、父親は「たとえ数年でも娘の命をつないでくれた橋にお礼を言いたい」と語りかける。

 阿南市羽ノ浦町、スーパー経営平圭介さん(41)。1998年9月、6歳だった長女の菜子ちゃんは、劇症肝炎と診断され、入院先の徳島大病院(徳島市)で「あとわずかの命」と宣告された。望みをかけた血漿交換の手術もかなわず、両親は実績のある京都大病院(京都市)で生体肝移植を受けることを決意した。

 病院からの再三の要請に、徳島市消防局は規定外の県外搬送を「特例」として認め、救急車で明石大橋を渡って約3時間で京都に到着。約12時間に及ぶ手術は成功し、医師は圭介さんらに「あと1時間遅れていたら危なかった」と話した。

 菜子ちゃんは、地元の小学校に無事入学。絵を描いたり、詩を書いたりするのが好きで、周りの友達と仲良く学校生活を送った。ピアノも始め、発表会では上手に独奏を披露し、圭介さんを驚かせた。

 しかし、肝機能が悪化するたびに入退院を繰り返さなければならず、小学4年生になった2002年2月、京都大病院に再入院したが、亡くなった。

 同消防局は、菜子ちゃんの「特例」を機に、県内での治療が困難な患者を県外の医療機関へ救急搬送できるよう、広域搬送の出動基準を策定した

 「菜子は10年という短い命でした 半分の5年は病気と闘いました それでも弱音を吐くこともなく明るくかわいい子でした――」

 圭介さんは昨年、菜子ちゃんの短い一生を詩に記し、命の大切さを語り継ごうと地元ボランティアグループと朗読会を開催した。

 菜の花が咲く4月7日生まれなので「菜子」。徳島は今、菜の花が満開だ。圭介さんは話す。

 「この橋を通るたびに娘を思い出す。手術後、京都からの帰り、橋から見た夕日は本当にきれいだった。今もあの子が『命の大切さをみんなに教えて』と導いてくれているような気がするんです」。


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posted by さじ at 23:36 | Comment(1) | TrackBack(0) | 救急
この記事へのコメント
はじめまして、
突然すみません。
息子が劇症肝炎になり、移植をしました。
菜子ちゃんの話、感動しました。
なくなられたとのこと残念でなりません。
私たちもこれから助けていただいた命に感謝し
一日一日を大切に生きて行きたいと思います。
よろしければ私のブログ(息子の闘病日記です)も
覗きにきてくださいね
Posted by ふか at 2009年05月13日 14:38
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