医師の負担軽減を目指す丹波市の母親グループの活動に共感した小児科医の石井良樹さん(32)=伊丹市出身=が、岡山県内の大学付属病院から同市柏原町の兵庫県立柏原病院に転勤を希望し、四月から常勤医として働いている。兵庫県病院局によると、他府県の大学医局を離れ、県内の地方に進んで赴任するのは極めてまれという。石井医師は「勤務医の負担を考えた地域は全国でも珍しい。住民の動きに応えたかった」と話す。
診察時間外に小児救急に訪れる患者は、全国的に約九割が緊急度が低い軽症とされる。柏原病院小児科は丹波地域の中核だったが、医師が三人から二人に減った二〇〇六年四月から危機的な状況になり、〇七年四月から一般外来を紹介制にし診察を制限している。
勤務医が疲弊する様子を知った母親たちが〇七年四月、「県立柏原病院の小児科を守る会」を結成。症状を見極めて病院を利用するよう住民に呼び掛けた。病院間の輪番制の徹底にこの運動が加わり、小児救急利用者は半減。先駆的な取り組みとして注目された。
昨年夏、インターネットで住民の活動を知った石井医師は、同病院に「会の活動は極めて意義がある」とメールを送信し、見学に訪れた。軽症患者が夜間に列をなしたり、患者の親が必要性の低い点滴などを執ように求めたりすることが多い中で、この地域では住民も医療を支えていることを実感した。大学病院を出るタイミングと重なったこともあり、転勤を決めた。「ここ数年の医療関係の話題は、患者のたらい回しや訴訟ばかりだった。地域の取り組みで心が救われた」と話す。
同病院小児科の和久祥三医師(41)は「自ら医師がやってきてくれたことは、地域に勇気を与える。住民が奇跡を起こしてくれた」と喜んでいる。
「まだまだ日本も捨てたモンじゃないな・・・」
疲弊している医療従事者の心を少し癒してくれるニュースではないでしょうか。
小児科は病との闘いではなく、親との闘いである。そういわれ続けてどのくらい経ったでしょう。少なくとも日本の小児医療は崩壊瀬戸際でした。でしたというか、今現在崩壊真っ最中です。
しかし・・・住人が立ち上がり、医師の現状を考えてくれ、そして、守ろうとしてくれる。なんともありがたい地域ではありませんか。実際医師を守ろうと思っていても、活動してくれるなんて、なかなかありません。
そして住民の努力が実を結び、一人の医師の心を動かしました…。
この活動で得られた「種」は見事に花を咲かせましたが、その花は全国に種を蒔いていくことになるでしょう。そうあってほしいと強く願います。
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