「障害者」の表記を「障がい者」に見直す動きが、福祉関係者や民間団体の間で広がりをみせている。「害」という字に「害悪」「公害」など良くないイメージがあるため、当事者・家族が不快感を抱かないように−というのが主な理由。全国的な傾向だが、県内でも既に資料の表記を改めたり、事業所名に明記したりするケースが出ている。
県社会福祉協議会は、昨年十月開催の県社会福祉大会の資料で、初めて「障がい者」と表記した。実行委の議論をふまえた形だが、大会終了後も、社協内で作成する文書はすべて「障がい者」と改めた。また、青森市社会福祉協議会でも「障がい」の表記に統一している。
二〇〇五年十二月に開所した五所川原市の支援センターは、「障がい児・者支援センター・スタジオ ビータ」と、事業所名に「障がい」と明記した。同センターは「『障害』は当事者と社会の間にある取り除くべき障壁ととらえ、当事者としては『障がい』を使いたい」と説明している。
県をはじめ、県内十市は従来通り「障害者」の表記のままだが、県外では自治体での取り組みも広がっている。
山形県は、庁内協議や関係団体の意見聴取を経てことし三月、議会で条例を改正した。当事者の人権を尊重する観点から、可能な限り「障がい者」と表記している。四月から新課名となった障がい福祉課は「好評という意見が半分以上」と言う。
大分県庁も条例や規則は変更していないものの、昨年二月から「障がいのある人」など「害」を使わないようにしているという。
その一方で、「表記よりも社会の意識を変えることの方が大切」「『障』の字も変えるべきだ」といった意見もある。障害者の自立活動を進める団体「Pingあおもり」(青森市)の代表で、電動車いすを利用する佐藤広則さんは「『障害者』『障がい者』どちらでもこだわりはない」と語り、県身体障害者福祉団体連合会の前田保会長は「『肢体不自由者』などに言い換えた方が良いという意見もある」と指摘する。
意味わかりません、コレ。
「障害」って言葉と「者」が合わさっただけですから、別に害はないじゃないですか。「障がい」と表記することによって「障」と「害」の二つの意味になりませんか?
これ本当に好評なんでしょうか。自分が障害者だったら嫌ですけどね。強調されてるみたいで。じゃあ「障」はどうなんだという話にも繋がりますし。
障害があるから障害者と表記しているだけで、別に害がある存在だなんて誰も思ってないと思うんですけどねー。私の知らないところで社会の暗雲は立ち込めているのかもしれませんが。「障がい」…んーこっちのほうが「障害」の意味からかけ離れて存在している分、差別的で個人的にはイヤですね。本当に障害者の方々はコレに納得しているのか、疑問です。
医学処:障害者アートの専門誌「brut ブリュット」が関西で誕生。
出生させるという事らしいが、実際日本で中絶されていたのは夫婦間の健康な子供らが大半だった。その数、1億下りませんねぇ。日本は中絶天国だったから)が変わって、97年に母性保護法なる人を食った法律(だって中絶するのにですよ?)になったみたい。障害のある人達の『団体』によってだそうでした。
経済上の問題だとかそういう理由でないかぎり中絶は禁止されているはずなのに、実際はそういうわけでもないですよね。なんか不思議です。
自分も、いわゆる「障害者」に分類されます。
(障害者手帳も持っています)。
で、当の本人からしてみれば、「障がい者」って、なんだか違和感あり。
障害者だろうが障がい者だろうが、言葉を変えたくらいでは何かが変わるとも思えないのです。
社会を変えたいのだったら、名称よりさきに変えるべきことがあるだろう?と。
どっちだっていいや、と思います。
実際、自分も普通に生活していくうえで、(幸いなことに)わざわざ「障害者だから害なのよ!」と言うような人には、今までほとんど会ったことがありません(ひとりくらいは言う人もいましたが、そんな人は名称が変わったところで意識が変わるとも思えないですし)。
こんなことに時間をかけるのだったら、障害があることで何に困っているのかを考えてほしいなあ…。
自分の場合はそれでも日常生活が普通に送れる程度なんですが、本気で困ってる人たちも多いでしょうし。
さじさんの意見に、深くうなずいてしまいました。
やはり違和感を感じますよねぇ。
言葉を変えることで、差別していた人が差別しなくなるというわけではありませんし、かえって差別的意識を盛り込む結果となってしまうような気がするんですよね。
いつの日か、社会が「追いついて」、名前での差別が馬鹿馬鹿しくなるような日がくることを願います。