2007年07月14日

禁煙の愉しみ…空気も旬のトマトの風味も、味わいは以前と違う。

禁煙の愉しみ=竹之内満 /栃木

 24年間、吸い続けたたばこをやめた。3カ月もたっていないが、もう大丈夫、と思っている。

 きっかけは4月の統一地方選前、会議出張で降り立った東京駅だった。駅舎を出たら喫煙場所が一切、見当たらない。日本を離れた4年間の変容ぶりにがく然とした。手指のたばこはそのままに、徒歩で半時間。東京消防庁そばのスペースにやっと灰皿を見つけ、肺の奥底で味わった。社に着くと、1階喫煙室に鈴なりの男女がいた。昼下がりの陽光の中、ガラス張りの室内も、顔々も、鈍色に煙って見えた。

 −−もう、いいかな。瞬間、そう思ってしまったのだった。心底から。

 たばこを口にしなかったのは、16年前、新婚旅行中の4日間だけ。結婚式で禁煙を誓わされたが、宿のトイレで吸ったのがばれ、開き直った。以来、1日3〜5箱を煙にしてきた。それが今や、なぜ禁煙できなかったのかと思うのだ。

 もちろん、離脱症状はある。のどの違和感はまるで、たばこの女神様に足で踏み締められているよう。喫煙者がそばに来ると、香りが羨ましくも妬ましくもなる。ただ、ラーメンをすすってもむせ返らなくなった。たばこは強力な興奮剤なのだろう、寝付きは劇的に改善した。つまり快適なのだ。

 しかし、真の効用は別にあると思う。昨年早世した書評家<狐>こと、山村修さんは著作「禁煙の愉しみ」でこう記す。「禁煙は越境である」。吸う自分と、吸わない自分。最後の1本を灰皿に押し消した瞬間、異なる人生が始まる、と。

 胸に流し込む鬼怒川岸の空気も、旬のトマトの風味も、味わいは確かに以前と違う。世界の感触が変わる。そして、この発見は禁煙者だけの特権なのだ。



 毎日新聞宇都宮支局次長の文章ですが、美しいと思ったので取り上げてみました。煙草を吸い続けた人の最後の1本の瞬間。

 やめる理由は人によりけりですが、「かっこいいと思って吸い始めた」という人は、ふとした瞬間に「かっこ悪い」と思ってやめるとか何とか。しかし煙草を旨いと思っている人はこのように、何ともなしにやめる瞬間があるのかもしれません。

 日本で暮らすことの長所って、「食べ物が美味しい」ことだと思うんですよね。これだけはどの国にも引けをとらないのでは。煙草をやめれば1つ1つの食材の美味しさを感じることができます。これだけでも、十分に止める価値はあると思いますけどね。食べ物の本来の味を知りたいから、煙草をやめてみる、という理由があってもいいのではないでしょうか。

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posted by さじ at 20:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 呼吸
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