インターフェロン研究の先駆者として知られる京都府立医科大名誉教授の岸田綱太郎(きしだ・つなたろう)ルイ・パストゥール医学研究センター理事長が13日午前1時3分、肺炎のため京都市上京区の病院で死去した。86歳。東京都出身。自宅は京都市右京区竜安寺衣笠下町35。葬儀・告別式は16日午後2時から同市中京区御池通木屋町東入ル上樵木町503の1、かもがわホールで。喪主は長男綱郎氏。
1920(大正9)年生まれ。同志社大文学部と京都府立医大を卒業。59年フランス政府技術留学生。75年から83年まで府立医大微生物学教室教授。
ウイルスなどの侵入から体を守るタンパク質・インターフェロンの研究を60年代から始め、72年に日本で最も早くインターフェロンを人工的に生成し、肝炎や白血病の患者らに投与した。
中学時代に仏の微生物学者ルイ・パストゥールの伝記映画を見たのが医師を志すきっかけといい、退官後の86年には、私財を投じてがんやウイルス疾患の研究と診療を行う京都パストゥール研究所(96年、ルイ・パストゥール医学研究センターに名称変更)を設立した。
原爆投下2カ月後の広島に京都府立医大調査団の一員として赴いた経験から、「反核医師の会」京都代表を務め、核兵器反対や平和を訴える講演活動なども続けていた。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
ご冥福をお祈り申し上げます。インターフェロンは難病の治療に欠かせない存在となりました。生涯研究熱心だったようで、まさに医者の鑑です。
関連
医学処 農村医療の先駆者、若月俊一さんが肺炎で亡くなる