臓器移植法を改正して臓器の提供条件を緩和するよう求めるシンポジウムが27日、福岡市の九州大病院で開かれ、約200人が参加した。
重い心臓病の高校生江田果瑠奈さん(16)の母博子さん(41)=福岡市早良区=は「国内の心臓移植は実施例があまりに少ない。医師から『移植が必要』と言われれば、死の宣告に等しい。海外渡航を決断したが大きな賭けだ。国内で移植を受けたかった」と訴えた。
現行法は、本人の生前に書面で提供意思が示されている必要があるため臓器提供者が増えず、国内での心臓移植の実施例は年数例にとどまっている。病状が悪化した果瑠奈さんは、ドイツでの移植を目指し、募金を集めている。
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この子は…。
医学処 修正大血管転位症の女性がドイツで心臓移植を望んでいる
海外で移植するためには、億単位の金がかかります。結局命を金で買ってるようなものです。しかし命を金で買えるなら誰でも買います。問題は、金で買わずとも手に入る命を、「怠慢」で実施しない国の政治家と、現状を認めようとしない、思考回路の停止した国民なのです。
今日の臓器移植法ははっきりいって「当たり障りの無い法律」です。議論を活性化させる前段階の、人名が助かることを目的としているよりは臓器移植に関して国民に浸透させることが目的のように思います。
脳死の時も、脳死が人の死かどうかで議論が沸き起こりましたが、魂がどうとか、死後の世界がどうとかいう道徳観念を持っている日本人にはあまり受け入れられませんでした。ですが脳死は肉体の死亡であることは事実です。
私としては、精神は遺族の心に残るのですから、腐りゆく肉体を他者の役に立てようという意識が国民の間に浸透してもらいたいと思います。そのわずかな細胞の塊で、他者の「命」が救えるのですから。
これは私の意見であり、私だけが実施すれば良い観念です。ここで私が言いたいのは、そういった考えにたどり着くまでに「どれだけ考えたのか」ということ。考えずに無視をするのだけはやめてもらいたい。思考停止というのは何も生まない。少なくとも、移植がどういうものであるのか、自分が脳死になったときに、自分の肉体をどうしたいのか、そのことについて生きているうちに考えてるべきなんだ、日本人は。「何故今生きているのか」、そのことを考えられる高度な知的生命体なのだから、臓器移植に関して我関せずみたいな態度を取り続けるのは、もうそろそろおしまいにしませんか?
link:医学生だった頃
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>思考停止というのは何も生まない。
まさにその通りですね。
臓器移植や自身の肉体に関する考え方には違いがあるようですが、自分が考え、多くの人に考えてもらいたいというところでは同じようですね。わたしは実際に教育実習でそういった内容に触れて、考えてもらう授業をしました!
問題はたくさんありますが、地道に色々やっていけたらいいですね(^o^)
自分に直接かかわりのあることでないと、どうも人というのは考えない傾向にあります。結論のでないような面倒なものであればあるほど。でもそこで考えないと、何も始まりませんし、特に臓器移植のような社会的なことなら、国民全体で考えなければ「変えられない」ものですよね。まだまだ日本は他者に対しての考え方が薄すぎると思います。少しずつ、前に進んでいけたら人の命の重さも実感できるんでしょうけれども。