農村医療の先駆者と呼ばれた長野県厚生連佐久総合病院名誉総長の若月俊一(わかつき・としかず)氏が22日午前5時5分、肺炎のため、入院先の同病院で亡くなった。96歳だった。
24日に近親者のみで密葬を行う。告別式の日程は未定。自宅は同県佐久市臼田2211の2。
若月氏は、東京出身で東京帝大医学部を卒業。戦時中の1945年3月、開院したばかりの佐久病院(現・佐久総合病院)に外科医長として赴任した。翌年、院長に選ばれ、以来、「農民のために」をモットーに、無医村への出張医療や、近隣の同県八千穂村(現・佐久穂町)で全村民を対象に健康手帳と健康台帳を作成するなど村ぐるみの健康管理を推進。病気の早期発見で医療費削減にも効果を上げた。76年には地域医療に貢献したとしてアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞、81年には勲二等旭日重光章を受けた。
病院では、がん治療機器の早期導入など先進医療の充実を図る一方、病院職員が役者にふんして「はらいた」などといった寸劇を披露、農民に病気を予防するための知識を分かりやすく伝えた。著書に「村で病気とたたかう」(岩波新書)などがある。
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ご冥福を、お祈り申し上げます。偉大な人が亡くなってしまったと知ると、哀しくなるものです。
参考:No.11 『農村医学からメディコ・ポリス構想へ』