体の性と、心の性が一致しない「性同一性障害」であることを妻や職場にカミングアウト(告白)した京都府立城陽高校教諭の土肥いつきさん(44)=京都市=を同校放送部員がラジオ用ドキュメンタリー作品として制作した。「私は私」と素顔のままの自分で生きる土肥さんに共感し、「性同一性障害を正しく理解してもらおう」と取り組んだ。今月25日から東京で開かれる全国高校放送コンテストで発表する。
作品は淡々としたナレーションから始まる。
「放課後、ランニングをするため放送部室に着替えにくる先生がいます。放送部の顧問、ドッヒーこと土肥いつき先生です」「なぜ女性用ロッカーを使わないの?」と疑問をぶつける生徒。土肥さんはさらりと話す。「私ね、10年くらい前まで、ひげ生やした男やってん」「えー」「小さいころの話を教えてくれますか」
土肥さんは男に生まれたが、小さいころからずっと女の服を着たいと思っていた。「けれど、他の子とそんな話はできない。自分だけの胸にしまっていた」と振り返る。大学を出て、高校の数学の教師になり、結婚した。2人の子をもうけたが、その思いはずっとあったという。
転機は97年に訪れた。友だちから「自分はゲイ」と告白されたのだ。性について勉強し、体の性にとらわれない生き方をする「トランスジェンダー」という言葉を初めて知った。「これは私のことや」と気付き、「こんな自分も『あり』なんや」と思ったという。
悩んだ末に妻に告白した。家族の理解を得て、01年にひげをそって髪も伸ばしはじめ、「女性」として生きるようになった。名前も変えた。今はホルモン剤の投与も受けている。
周りの反応は?「最初はみんなびっくりしてたけど、だんだん慣れていったみたい。みんなあっさりしてた」と笑う。
昨年夏、放送部のメンバーで「来年のコンテストで何をしよう」と相談した時に、顧問の土肥さんは「自分を題材にしていいよ」と生徒に話しかけた。「自分のことを素直に受け止めてくれたこの子たちなら、という信頼関係かな。題材も社会的で、『コンテストに勝たせたい』という気持ちもあったし」と土肥さん。
生徒たちは意欲的にインタビュー内容や構成を考えた。土肥さんも自然体で、これまで悩んだり、思い切ってカミングアウトしたときの思いを素直に話した。インタビューを担当した放送部長の村田香菜さん(2年)は「どんな質問をするかで苦労した。でも、先生は今も昔も変わってないなあ、ということを改めて知った」と話す。生徒たちの合言葉は「ドッヒーはドッヒーや」だ。
作品は最後のナレーションでこう触れる。
「トランスジェンダーは、真剣に悩み、生きています。社会は大変厳しいけれど、身近な人間で理解してくれる人は、限りなくその人の支えになることができます」
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身体と心の性が違うというのは、想像以上に負担なものです。負担というのはおかしいか。社会からの攻撃ですよね。それをダイレクトに受けているようなものです。そんな人たちにも救いとなる、性転換。非常に優れた技術です。
その技術を身勝手な理由で使用してしまうことは許されません。性同一性障害でもないのに、身体つきを変えたいから、などの短絡的な理由でホルモン剤を使用するべきではありませんし、ましてや母親に嘘をついてもらってまで性同一性障害の診断を得ようなど言語道断。フィクションにしても浅ましい話です。
参考:はるかりんBlog
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