<医療過誤>慈恵医大青戸病院 無謀手術を断罪…地裁判決
東京慈恵会医科大付属青戸病院(東京都葛飾区)で行われた腹腔鏡下手術のミスで男性患者(当時60歳)が死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われた元同病院泌尿器科医師、H被告(37)ら3被告の判決が15日、東京地裁であった。
栃木力裁判長は、「医師の基本を忘れた無謀な行為というほかない」と述べ、H被告に禁固2年6月、執行猶予5年(求刑・禁固2年6月)、M(まだらめじゅん)(40)とM(35)両被告に禁固2年、執行猶予4年(同)を言い渡した。
この手術では、M被告が執刀医で、主治医のH被告とM被告が助手を担当した。
判決は、「知識、技術、経験がない3人が難易度の高い手術を行った結果、患者が死亡した」と述べた上で、主治医だったH被告に対しては、「手術のメリット、デメリットを説明せず、患者が治療方法を選択する権利をないがしろにした」と指摘した。
また、判決は、3被告について「手術経験を積みたいという自己中心的な利益を優先した」と批判し、「止血処理を怠り、漫然と手術を続け、適切な時期に開腹手術へ変更する判断ができず、男性患者を死亡させた」と結論付けた。
弁護側は、「輸血が間に合えば死亡せず、追加の輸血の注文を怠った麻酔科医の過失が直接の死亡原因」と無罪を主張したが、判決は、「麻酔科医の過失が3人の罪を否定する事情にはならない」と、退けた。
「功名心の犠牲」 遺族、怒り晴れず
知識も経験も浅い医師の無謀な挑戦が患者の死を招いた――。東京慈恵会医科大付属青戸病院(東京都葛飾区)の元泌尿器科医師3人に有罪を言い渡した15日の東京地裁判決。“人体実験”さながらのずさんな手術の実態に、「医師の功名心の犠牲にされた」と怒りを募らせてきた遺族らの表情は、判決を聞いても晴れることはなかった。
遺族は判決を傍聴席の最前列で聞いた。主文言い渡しの瞬間もうつむいたまま。「患者の安全の確保という医師としての最も基本的な責務を忘れた行為は、強い非難に値する」。栃木力裁判長が読み上げる判決理由に、身じろぎもせず聞き入った。
亡くなった男性患者(当時60歳)の長女は、判決後に会見し、「執行猶予がついたことは、遺族の気持ちを全面的に反映したものとはいえない」と不満を漏らし、目に涙をためて、「3人にはもう医者を続けてもらいたくない」と話した。男性患者の妻も同席したが、涙で一言も言葉を発することができなかった。
男性患者が手術を受ける前、妻は、主治医のH被告(37)から説明を受けたが、同病院で初の手術だとは知らされなかった。
公判では、手術中に3被告が冗談を言い合い、出血が止まらず開腹手術に切り替えるよう提案されても、「まだ大丈夫」と続行するなど、人体実験さながらの光景が明らかにされた。
3被告は傍聴席の遺族に度々頭を下げたが、無罪主張は譲らなかった。長女は昨年11月の公判で、「医師として最低の人たち」と述べていた。
「被告たちに父が出会わなければ……。どうすれば父を救えたのか考えてきたが、結局、そこにたどり着いてしまう。実刑にしてほしい」。判決の前、長女は強く実刑を望んでいた。
この日の判決は、「愛する家族を失った悲嘆、死亡原因を知りたいという思いまで踏みにじられた怒り、不信感は無視できない」と述べたが、社会的制裁を受けていることなどを理由に実刑までは認めなかった。
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どんな医者がダメなのか。何よりもまず知識の無い医者だと思います。ただ単にバカだということですから。例え受験勉強が出来たとしても、大学で劣等生だったならば何の意味もありません。
知識のない医者、そして更に技術のない医者は「一般人」ですから。患者になりうることはあれど医者になることはありません。追放して然るべきだと思います。
未だに無罪を主張しているようですが、そもそも輸血をしなければならなくなったのは彼らが技術も知識もない医者だったから、です。インフォームドコンセントすらせずに自分のやりたいことをやっていた、まずはそこから「猛省」して下さい。
関連:医学処:慈恵会医大青戸病院腹腔鏡事件の判決公判が15日に
この事件は知っていましたが、正直申し上げて彼ならさもりなん、という残念な気持ちでいっぱいです。
本人の名誉のために詳しくは申し上げませんが、もっと医師になるための制度自体に疑問を感じざるを得ません。なぜ彼が医者になれたのか?
人間本来自己中心的でわがまま生き物。
であれば、医師を志す者はもっとも謙虚であるべきです。彼は大学時代も多忙という言葉に隠れることで、この謙虚な気持ちを身に付けることができなかったのかと、残念でなりません。
いや、その前を知る者であれば、もっと前からかれには謙虚さが必要であったかもしれません。
私が、つべこべ言っても始まりませんが、このような医師のおごり高ぶりの執刀がなくなることを願ってやみません。
被告Hの高校時代の同級生より