東日本大震災に見舞われた仙台市の医師たちは、阪神大震災から学んだ備えが生かせず悪戦苦闘を強いられている。地震でけがをした人は想定より大幅に少なく、一方で、津波で亡くなった人が多すぎて検死のための医師が全く足りていないという。十分な医薬品備蓄を持ちながら、ガソリン不足で診療所まで届けられないもどかしさも募る。
「けがなく助かったか、亡くなったかのどちらかだった」--。仙台市医師会の永井幸夫会長は16日、今回の震災では「想定外が多すぎる」と語った。そのひとつは、建物倒壊などでけがをした人が極端に少なかったこと。定期的に大規模な地震が発生する宮城県では、建物の倒壊防止などが徹底していたという。
一方で、津波の被害は「想像すらしていなかった規模」と永井会長は声を震わせた。海岸から5−6キロ内部まで町ごと流され、多くの遺体が、がれきや泥に埋もれたままだ。市内の診療所が慢性疾患患者や、避難所で体調を崩した被災者の診療に追われる中、今、必要なのは遺体を検死する医師だという。
宮城県の危機対策課は、2010年1月、10年以内に大規模地震が起きる可能性が70%あるとして県民に注意喚起を呼び掛けてきた。県が04年に行った被害想定調査では、マグニチュード8.0の海洋型の地震では死者164人、負傷者6170人を予想、マグニチュード7.1の直下型の場合は、死者620人、負傷者1万1003人を想定している。
仙台市医師会では、1995年の阪神淡路大震災の後、定期的に勉強会を開き災害対応マニュアルを作成し、阪神大震災の教訓から医師会の初動指示や安否確認は携帯メールを使うことになっていた。医師会の災害担当理事の瀬野幸治医師は、11日の地震発生時、市内の自身の診療所で患者を診ていたが、大きな揺れを感じメールで連絡を取り始めた。ところが全くつながらない。後から分かったことだが、携帯電波基地局のアンテナが津波で被害を受けていたのだという。
瀬野医師は、近くの診療所に足を運んで状況把握と初動指示を伝える作業を泊まり込みで開始。3日目には携帯メールも機種によって使えるようになり、17日現在、医師会会員の開業医720人のうち、399人と連絡がとれているという。「医師らは自主的に避難所を訪問して診療時間などの連絡を回していた」。瀬野医師は防災意識を共有できていたことが嬉しかったと語った。
もうひとつの教訓「48時間ルール」も全く応用できなかった。地震発生から48 時間を乗り越える備えがあれば、その後は支援物資が届き始めるというものだが、瀬野医師は、「96時間たっても支援物資は届かなかった」と言う。17日夕方の電話取材時点では、電気は復旧したものの、水道とガスは再開のめどが立っていないという。
仙台以北にある沿岸の病院では入院患者全員を退院させた例もあった。津波被害を受けたこの町では、スタッフの数も不足し、暖房も食料もないことから「餓死をするよりは、避難所で食事を提供されるほうがよいと判断したようだ」と永井会長は電話取材でその辛さをにじませた。
各地の診療所では、糖尿病などの慢性疾患患者に対する医薬品が足りていないという。これに対し、永井会長は、「医薬品の備蓄は十分ある。なのに各地の診療所に届けられない」ともどかしい思いを語った。ガソリンの供給不足で自動車を動かせないのだという。
医師や看護師が病院まで来られず、患者も受診にこられず我慢を重ねる。「親が子供に発熱やおう吐の症状を我慢させているのは非常につらい」と永井会長は語り、備蓄してきた医薬品も医療器具も生かせないことが何よりも悔しいと言う。
仙台市青葉区にある東北大学病院では、約1000人の入院患者が4日間、パンとビスケット、コンビーフの缶詰でしのいだ。痛み止めの薬もなくなり、点滴用のチューブは再利用を余儀なくされた。看護婦の小野寺未央さんは、「平時ではあり得ない方法をとらざるを得なかった」と17日、電話取材に語った。設備が整わない中、ガンの手術が延期になると自ら退院を申し出る男性や、飲料水を差し出しても「他の方に回してください」と遠慮する患者もいるという。
「ガソリンについては国に何度も要請をしたが改善は全くない」と永井医師は憤る。現在は地元選出の国会議員を通じて、ガソリン調達の円滑化などを求めているのだという。仙台市内の大型スーパーには食料品や日用品を買うために4時間も列に並ぶ現状に、病院スタッフは食事も水も満足に得られていない。瀬野医師は、ブルームバーグに今後「災害用の備蓄リストに燃料も加えるべきだと伝えてほしい」と語った。
未曾有の大災害により、医療現場も混乱しています。
私も大震災の時はちょうど病院の上のほうにいたのですが、恐ろしいくらいゆれました。
過去経験したことがないほどの揺れで、これはとんでもないと思うと同時に、少なくともここが地震の直下であれば、大事にはならんだろうと思っていたのですが。実際はもっと遠く離れた場所で、起こっていました。
病院は、患者さんの物が散乱したり、車椅子が倒れたりする程度で、命には別状なかったです。
ここ数日は、テレビで報道されているように、被災地近辺の病院から、重症患者を受け入れていました。
自衛隊のヘリコプターで、重症患者が運ばれてきました。
救急車は、スピードを出しつつも、患者に余計な振動がかからないように、再三の注意を払って走行しているのですが、自衛隊のヘリコプターも、全く振動がないように見事な着地でした。そして患者を搬送した後は、次の患者を運ぶために飛び立っていきました。その患者は、救急車で、万が一何かあったときのために消防車も待機していました。
未曾有の大災害が起こったときに、自衛隊、救急隊、消防隊が、迅速かつ完璧なチームワークを発揮していることに、本当に感動すると同時に、その襷を、自分が絶つわけにはいかないという想いが強く働き、全力で加療にあたりました。
そして今、震災の影響は遠く離れたこちらの病院にも影響が及んでいます。
点滴で使う薬剤の工場は、東北地方にあるのです。
医療資源が足りない、というのは被災地だけでなく、日本全国に及んでいます。
しかしながら、被災地近辺の病院がどれほど大変な思いをしているかと思うと、気が気ではありません。
助け合う、ということを、日本という1つの国全体でやらなければいけない
出来ることを、実際に「行動」にうつしていきたい。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。
今から助けられる方のために、どうかご支援を。