2010年08月20日

ボランティア経験のある学生ほど、障がい者表記に好印象を受ける

「障がい」表記で意識向上不十分 京大院生調査

 障害者を「障がい者」と表記したときの受け止め方の変化を、京都大教育学研究科の大学院生、栗田季佳さん(25)が学生にアンケートして調べた。障害者とかかわるボランティアを経験した学生には「頑張っている人」などのイメージが強まったが、経験のない学生には変化がなく、「表記を変えるだけでは不十分」という。

 障害者の「害」の表記はマイナスイメージとして、一部の自治体では「がい」と平仮名表記する動きも進んでいる。

 栗田さんは、身体障害者のイメージを選択肢で選ぶアンケートを、「障害者」「障がい者」のそれぞれで表記した2種類を作成し、関西と中国地方の学生316人に回答してもらった。ボランティア経験のある学生は、平仮名表記のアンケートの方が「立派な」「尊敬できる」「頑張っている」のイメージを選ぶ割合が高くなったが、経験のない学生は両者に差はほとんどなかった。

 栗田さんは「障害者とのかかわりが少ない人には、表記を変えるだけでは意味がない。障害者への誤った理解や偏見をなくす具体的な施策が重要だ」と訴える。

 当事者団体の日本自立生活センター(京都市南区)のピアカウンセラー矢吹文敏さんは「障害者も健常者も同じ人間で対等な関係にあるという概念こそが大切だ。表記だけの議論は意味がない」と話している。



 ボランティア経験のない学生が「差がなかった」とするなら、別にいいんじゃないですかね。障害者と障がい者という表記に違いなんてないのですから。

 むしろ「障害者」から「障がい者」と名称の表記を変えただけで「立派」とか「尊敬できる」とか、障害とは直接関係のない形容詞が生まれる「ボランティア経験のある学生」のほうが胡散臭いというか、悪く言ってしまえば偽善的な気がしますけれど。

 障害者を手厚く保護し匿うという障害者支援は旧時代のものです。障害者と健常者がいたとしても、対等な人間関係をもつ、という概念を近代社会は目指しています。

 それに対して障害者に対して「立派」「尊敬」「頑張っている」などという認識をもつことは、対等な人間関係どころではなく、むしろそれこそが差別を助長する結果になってしまいます。

 障害者に対するボランティアを行った学生が「立派な」「尊敬できる」とか、そういう感情を抱かなくなってこそ、本当の意味で障害者差別というものはなくなると思うんですよね。障害者にとってみれば障害を抱えているのだから日常生活を送る上で健常者より頑張るのは当たり前で、それを健常者が「尊敬できる」とか言っているのをみたら、明らかに上から目線ではないでしょうか。

 この研究を通じて、障害者とのかかわりの強い学生にこそ、むしろきちんとした教育が必要だと思いました。お前らの心を満たすために障害者は存在しているわけではないのだと。障害者に対する誤った偏見を取り除く必要があるのはどちらなのかと。障害者に対する偏見・差別をなくしたいのなら、障害者と障がい者の名称表記の違い程度で印象が明らかに変わるような浅薄さをどうにかしてほしいと思います。
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posted by さじ at 14:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 介護
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