交通事故で、7歳の子どもが心肺停止となって運ばれてきた。救命のため人工呼吸器を装着した。徹夜の治療で心臓は再び動き始めたが、意識は戻らない。両親と連日、治療方法を話し合った。
7日目の朝。ベッドわきで両親が、言葉を絞り出した。「先生、もう結構です」
日ごとに血色を失う、わが子の指先。1週間かけた決断。その間、人工呼吸器の役割は、当初の「救命」から「延命」に変わっていた。治療を最小限にとどめ、家族とともに小さな命を見送った。「ずっと生きてほしい。そう思い、医師は救命の努力をする。家族と気持ちは重なるんです。なのに延命をやめ、みとるというのは……」。20年近い年月が過ぎても、子どもと両親の顔や名前は、鮮明に覚えている。
延命治療の中止に臨む救急医は、どう考えているだろう。会田薫子特任研究員ら東大研究チームは08〜09年、全国の勤務医にアンケートし、意識を調べて分析した。
約930人の回答のうち、臓器提供と関係なく患者の状態を把握するために脳死診断をしている医師は、47%。そのうち人工呼吸器の「中止を選択肢にしている」のは、わずか4%だった。
07年に公表された日本救急医学会のガイドラインでは、一定の条件を満たせば人工呼吸器の取り外しを認めている。だが医師がちゅうちょするのは、なぜか。
その理由は、調査結果によると、刑事責任の追及といった「法的問題」(83%)と同時に、心理的な抵抗感を挙げる意見が目立った。
「自分の手で行うことへの嫌悪感」(60%)、「手を下した感じの回避」(56%)、「短時間で心停止に至るのを見ることに苦痛を感じる」(48%)と続いた。
アンケートと別に、会田さんが救急医35人に行ったインタビュー調査では、医師が苦しい胸の内を明かした。
「自分で死に追いやったんだと思う」「右の手で助けようとしていたのを、左の手でやめるのはすごく苦痛。医師としての本能に反する」
射水市民病院事件を捜査した富山地検の幹部は、罪かどうかの線引きに悩んだ。「そもそも殺人なのか」「罪に問うべきものか」
結局、呼吸器の装着も取り外しも、延命治療のための行為と考え、殺人罪に問わないという結論を出した。
問題発覚から4年弱。この間、延命治療中止に関するガイドラインが医療者側から相次いで発表された。それは、延命治療を中止するための手続きの理想像は示す。だが刑事責任の免責まで法律的に保障するものではない。
検察幹部も「ガイドラインに沿った医療行為でも、刑事責任を完全に免れるというわけではない」とくぎを刺す。 法律を根拠に判断する警察官や検察官にとって、延命治療中止を捜査する「宿命」から逃れられない現実は、変わっていない。
法律で曖昧な部分を、早急に煮詰めないで、医師にだけ責任を置くというのはなんか違う気がしますけれどね。
医師を裁く前にやるべきことがある、にもかかわらず、ただ棚に上げているだけではないでしょうか。
それで医師の人生が変わってしまうわけでもありますし。尊厳死・安楽死に関しても、いざ何か起こってどうこう論議する前に、今から、法律として整備すべきでは?