医者っていうのは、子育てが下手だと思います。
でもそれは医者という職業上、仕方ないことだとも。
努力家で、医者になっても勉強することを忘れず、寝る間も惜しんで患者さんに向き合う医者っていうのは、家庭をどうこうする暇がない。
どこかの勤務医なら当然ですし、開業しても朝から晩まで診療に専念しているような人ならば、子供は親の顔すら年末にしか見ずに育つなんてこともザラです。
親がどれだけ立派であっても、子は親のことをイメージとしてしか捉えられないのではないか。もちろん物心ついた頃にはそんな親を子自身も「尊敬に値する親だ」と思うのかもしれませんけれど、それと子供の成長とはまた別だと思います。
親が高名な精神科医であっても、子がバカボン(バカなボンボン)であるというケースは多い。発達心理学等を理解していても子供の成長に自分が関与する機会がないからです。
そういうわけで良き臨床医というか、患者さんのことを親身に考えられる、人格的にも優れている人は親が非医者の場合に多いのではないでしょうか。
だからこそ、親が医者で、子も立派な医者というのは、ホント、どうやって子供を育てたのか、と。よほどいい環境、良き友人、教育者、聡明な頭脳をもって、かつ、親もうまい具合に育児に影響を与えられたのだなぁと思います。もうそれは本にして出版したほうが世のタメになるとまで思うほどです。
よく思うのは、大学で留年するというのはどれだけバカな子供として育ったのか、ということ。高校卒業後、浪人するのは構わんと思います。受験勉強なんて誰しも嫌なものですし、やりたくないことだからです。しかし大学は違います。自分で学びたい学問を選択して来ているわけで、そこでも「やりたくない」などというのは思考の停止に他ならない。自分の息子が大学で留年したら、失敗したなと思うと同時に自分自身、猛省しなければならないでしょう。そのような子に育ってしまうというのは、情けない話だと思います。
どれだけ親が立派であっても、子供をもうける以上、そういうことも踏まえた上で育てていかなければならないなぁと思います。あわよくば、高校卒業時に、自分で進路を見つけられる、たとえ親が医者であっても反発して本気で別のやりたいことを見つけたり、やはり自分も医者になりたいと「自分で」考えられるような子に育ってほしいものです。
大学入学後、または医者になってから、自分は何も考えずにここまできたけれど、やはり医者として患者さんと本気で向き合っていきたいと考えられるような子になれば、その時には涙を流しながら酒を呑みたい。医者でありながらも親として、全うすることができたと思う瞬間ではないでしょうか。