「センセイ、腰になぁ、ご先祖様の霊が憑いてしまって困っとるのよ。何とかならんもんかねぇ」
夏のある日のこと、90歳にもうすぐ手が届くキクさんが診察室にやって来て、わたしの耳元で打ち明けた言葉です。手元に回ってきた問診票には、ナースの字で「腰痛(2週間前から)」としか書かれていませんでしたので、「ご先祖様の霊」が出てくるとは思いもよりませんでした。彼女は認知症ではなく、精神状態も正常なかたですから、よけいに面食らってしまったわけです。
「腰にご先祖様の霊が憑いて動けなくなった」というキクさんの悩みを、「医師の論理」で処理するならば、型通りの問診と診察をして、採血やレントゲン撮影などの検査を行い、「腰部変形性脊椎症」とか「骨粗鬆症」といった病名を付けて、消炎鎮痛剤の内服や湿布を処方すれば任務終了です。
しかし、キクさんが診察の最後になって、「ご先祖様の霊のほうは、治してくれんの?」と、当初の「主訴」に関する問題解決を迫って来たらどうしましょう。普通の医者ならおおいに困惑するにちがいありません。だって、医学の教科書や診療マニュアルには「除霊」の方法なんてどこにも書いてありませんから。
医師は病気を「客観的事実」としてとらえ、科学的に理解するように訓練されています。この「論理実証モード」の世界では、病態生理から導かれる「原因→結果」という因果律が王様のように君臨しています。
キクさんの場合なら、「加齢による腰椎の変形→腰痛」という因果律が証明できれば、医師はとりあえず自分の任務を果たしたと考えて満足します。こんな医師独特の思考プロセスを、このリレー・エッセーにも寄稿されている尾藤誠司先生(国立病院機構東京医療センター)は「医師アタマ」と命名されました。お察しの通り、イシアタマ、ですから、硬くて融通がきかないところがあります。
一方、患者さんは自分の病気を「主観的な体験」としてとらえるために、物語的に理解しようとします。
主観的な体験としての「病の物語」は、当然のことながら自然科学のような一般性や普遍性はなく、個別性や恣意性に満ちているので、マニュアルやガイドラインの通用しない世界となります。キクさんの腰に憑いたご先祖様の霊を何とかするためには、医師アタマを「論理実証モード」から「物語モード」に切り替えて、彼女の病の物語に耳を傾ける必要があるのです。
「解釈モデル」とは、発病の原因や病態などについての患者さん自身の考えのことで、とくに「症状に関する患者さんの意味づけ」を聞くことは、物語的理解を知るうえで重要です。そこで、さっそくキクさんにも解釈モデルを尋ねてみました。
「なぜ、腰にご先祖様の霊が憑いたと思いますか?」
「お盆も近いのに、体のあちこちが痛んで、お墓の掃除に行くのもままならない。嫁に掃除をしておくれと頼んでみたが、相手にしてくれない。お墓が荒れていることに腹を立てたご先祖様が腰にとり憑いて、わたしにバチを与えているに違いない」
この解釈モデルを子細にながめてみると、信心深いキクさんの気持ちや、お嫁さんとの人間関係などが、「ご先祖様の霊」というかたちになって、彼女の腰痛や抑うつ的な気分に影響を与えていることがよくわかります。
さて、「治療者(医師)の論理/物語」と「当事者(患者)の論理/物語」がすれ違ってしまうと、そこにコミュニケーション不全が生じて、患者さんは医療に大きな不満を抱くことになってしまいます。そこで、両者を統合する作業として、対話による「すり合わせ」が必要となります。
医師の物語(診断/見立て)が開示され、患者さんの物語との慎重な「すり合わせ」が対話により進められると、まったく「新しい物語」が浮上する、という現象が生じます。物語の「ささやかな変容」という場合もあるでしょう。それが医師と患者さんの双方に共有されると、「腑に落ちた感じ」が生まれ、患者さんは安心し納得することができ、問題は解消することになります。患者さんが安心し納得することは、すなわち医療者側の安心・納得にもつながるのです。
キクさんの場合も、対話による「すり合わせ」のプロセスを経て事態は展開しました。キクさんはわたしとの対話のなかで、自分の「腰が痛い、体が動かない」という症状が、息子さん夫婦との関係に影響されていることに気づき、「自分にもわがままなところがある」という新たな物語が浮上して来たのです。
わたしは顔見知りである息子さん夫婦に連絡して、お墓の掃除を依頼するとともに、キクさんの心情についても説明しました。しばらくして、キクさんから、体の痛みにより動けないという訴えや抑うつ的な気分は、しだいに解消されてゆきました。ご先祖様の霊のほうも、診察室での会話のなかに登場しなくなったので、どこかに去っていってしまったようです。
患者さんが語る病の「物語(ナラティブ)」を尊重し、治療者と患者さんの間で交わされる対話を、治療の重要な一部であると見なす医療を、ナラティブ・ベイスト・メディスン(Narrative Based Medicine、NBM)と呼び、日本語では「物語と対話に基づく医療」と訳されています。「NBMの実践」なんて言葉を聞くと、何だか小難しいことのように感じられるかもしれませんが、これまでご紹介してきたキクさんの事例のように、わたしのような町の開業医の診察室でも、ごく日常的に行われているものです。
もし、キクさんの「物語」に耳を傾けず、痛み止めと湿布を押しつけるだけの「医師アタマ」式診療で終わっていたならば、彼女の体にご先祖様の霊はずっと居座ることになり、腰痛や抑うつといった症状も解消しなかったでしょう。「物語と対話に基づく医療」を上手に使うと、ご先祖様の霊は去っていき、キクさんとお嫁さんが仲良くなったりするのですからすてきですね。
患者さんたちが診察室に持ちこむ問題は、ますます複雑になっており、マニュアル的な対応だけでは解決が困難な場合が増えています。これからは患者さんの物語を感受する能力を有する医師こそが、対話を通じて複雑な問題を解きほぐして、医師と患者さんの双方が安心と納得を得るような、「温かな医療」の担い手になってくるのではないでしょうか。
医療現場ではこういうこともあるのです。そういうときに病状ばかりをみるのではなく、患者さんそのものをみることも大事なことです。それが医師患者関係を良好なものにすることもあれば、患者さんの悩みの本質を見極めることもあります。
久々に、良い話を伺いました。このお医者さんのように親身になってくれる医者であれば、患者さんも安心して病気の相談をすることができるでしょうね。
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