2008年10月27日

強い体罰を受けた子供の脳の前頭葉は萎縮している。

長期体罰の子、脳が萎縮 熊本大准教授が共同研究

 子どものころ長期にわたり強い体罰を受けた人は、受けていない人より脳の前頭葉の一部が最大で約19%縮んでいるという研究結果を、熊本大大学院医学薬学研究部の友田明美准教授(小児発達社会学)が米ハーバード大医学部との共同研究でまとめた。体罰と脳の萎縮の因果関係を実証した研究として、体罰のあり方に一石を投じることになりそうだ。

 研究は米国で、4〜15歳のころに平手打ちされたり、むちで尻をたたかれたりするなどの体罰を年12回以上、3年以上にわたって受けた米国人の男女23人を対象に実施。磁気共鳴断層撮影装置(MRI)で脳の断面図を解析したところ、体罰を受けず育った同年代の22人に比べ、感情や意欲の動きにかかわる前頭前野内側部が平均19.1%、集中力や注意力にかかわる前帯状回が16.9%、認知機能にかかわる前頭前野背外側部が14.5%小さかった。

 小児期に過度の体罰を受けると行為障害や抑うつなどの精神症状を引き起こすことは知られているが、脳への影響は解明されていなかった。今回の研究で脳の萎縮がみられた人については、体罰でストレス下に置かれた脳が、前頭葉の発達を止めたと考えられるという。

 友田准教授は「研究結果は虐待の早期発見に生かせるのではないか」と話している。

 子どもの虐待に詳しい才村純・関西学院大学人間福祉学部教授(児童福祉・母子保健)の話:「虐待が子どもに与える影響を客観的な証拠で示した画期的な研究だ。子どもが虐待の事実を言い出せず、親も隠したり認識がなかったりして見落とされる事例は多い。脳との因果関係を裏付けることができるなら、隠れた虐待の発見に役立つだろう。研究成果が今後、教育や福祉の分野で普遍化されていくことを期待する。」



 悲しい話ですね。

 些細なことがあっただけで「身体で覚えさせるため」と勝手な解釈をして、すぐに手を上げるというのは、はっきり言って何の効果もないと思います。

 まずは言葉で。言葉で分からないようならば、再度言葉で。途方もない時間をかけても言葉で分からないようならば、自分自身の言い方や考え方を見直した上で、言葉で説明すべきです。

 日常的に体罰をする親というのは、はっきりいって総じて頭が悪いような気がします。思考を説明できないがゆえに、短絡的に体に痛みを与えて覚えさせようとする。それは本人は教育=体罰という考えに基づいているのかもしれませんが、結局は虐待に他ならないです。

 個人的には、親が子に手を上げるってのは、よほどのことだと思います。例えば万引きをしたとか、そういうシーンがあったときに、一生に一度、手を上げるのは教育かもしれません。それは人それぞれの感じ方でしょう。(初めて叩かれたから更生した、という人もいれば、何も叩かれず店の前で土下座されたから更生した、という人もいれば、何も言わずただ抱きしめられたから更生した、という人もいるのでなんともいえません)。

 また、一度も叩かれなかったからといって、言葉できちんと叱られなかった人も、駄目になりますね。それはただの甘やかしですが、体罰をしないのは「甘やかし」ではありません。ちゃんと向き合って言葉で叱るべきです。子育ては大変でしょうけれど、子供のことを第一に考えて、行動してもらいたいです。

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posted by さじ at 01:07 | Comment(6) | TrackBack(0) | 小児
この記事へのコメント
虐待と体罰の線引きが難しいですね。

私はある程度の体罰は容認するべきだとかんがえます。
ブログ主さんは体罰全否定のようですね。
Posted by at 2008年10月27日 16:52
全否定ではなくて、親は出来る限り体罰をしない方向でいるべきだという感じですかね。
例えば不注意でお皿を割ったら、叩くとか、言うこときかなかったら叩くとか、そういうレベルでの体罰は体罰でも何でもなくて、ただ言葉で説明できない自分への苛立ちを暴力という形で子にぶつけてるだけです。叩いたら子供が改心するわけでもないですし。
そうではなくて、たとえば10年に1度のような、とんでもないことをやらかしたときに、体罰を行うのは、効果があるでしょう。それこそまさに教育目的での体罰です。でも出来るならそれもやらないで子育てしたいものですけどね。
Posted by さじ at 2008年10月28日 18:59
私には一歳になる子供がいますが、
「ダメ」を教えるために叩いています。

どうしても、言葉の意味が分かるようになるまでは
痛みで教えないといけないと思うので、そうしています。

さじサンにはお子様はいますか?
Posted by at 2008年10月30日 23:18
虐待と体罰が愛ある行為か否かは
言いつけた敵をかばうために行われたえこひいき
元気のいい子供がやられ、
めそめそなく弱い振りしてずるい憎しみを
大人が勘違いして
暴力をところかまわず振るう暴力教師

まったくけだものとおなじ
けものが松丸岸生
臼杵の小学校教師 昭和7年生まれである
Posted by かいと at 2008年11月10日 18:57
やなことも あって、 広く 大きい 人生・・・禍は、福の種

逆境には、めそめそ するな
大胆に切り込んだ方が、運が あがる ぜよ

来年は 竜馬のドラマ も 始まるし
男性的に おおらかに 切り込んで ゆこう


感情は いつもは、深く静まっている
怒り、くやしさ、は、気持ちの心配事のある 場所を教える、目印 となる

火花が散ったとき、そこに ちからの沸く、根元が ある

だれしも、逆境 あってこその 人生だ

悲しい詩を書いて、喜ぶも いい
嬉しい話をして、悲しむ のも いい

聞いた?

昔の人の渋さも、たまには 思い出せ

うれしいことは そう言わない

燃えることは、表だって ことさら言わず、 うちに ふつふつ秘めて、 消えないように、 胸を そっとして おいて
じっとためよう

中で 燃える
そのほうが大切に思える


動物の心は動く
気まぐれ
約束は出来ない

でも、人間は、ためこむパワーがあり、これはエネルギー倍増だ

気持ちの共感は、パワフル
限界を打破できるし、生き抜ける、もと

運命は、理路整然
人間の、理屈の知恵をしのぐ

自然は こわいもの
締めて かかれ!


闘い・半分、
運命は、
自然の成り行き任せ・半分

じたばたしても しょうがない
Posted by a at 2009年12月27日 13:30
封建社会の名ごり

口封じされた子供が後を絶えない
成人して「気違い」になり、
狂い精神病院で余生を過ごす繰り返し
Posted by at 2011年11月30日 13:52
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