2008年08月22日

医学の嗚咽3

293 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/12/02(土) 16:56

昭和20年 静岡県に生まれた

7人兄弟の末っ子だったので両親からはかなり可愛がられた記憶がある。
兄弟の中では一番成績が優秀だったので、貧しいながらも旧制中学へ進学した。
一浪の末、早稲田の政治経済へ進学。ジャーナリストになりたかった。

大学4年の時、つき合っていた彼女が妊娠したので、学生ではあったが結婚をした。
当時は学生結婚は大変珍しいことである。彼女の実家へ足を運んで、ご両親に
土下座をして謝罪し、結婚を認めてもらう御願いを申し出た。

就職は朝日新聞社へ入社し、政治面の担当となり、後藤田の番記者として活動した。
あの頃が一番輝いていたと思う。新聞記者というのは、つき合いが全てと考えても
いいぐらいに交流関係が必要な職業である。連日連夜の酒浸りの日々を何年も続けた。

体調の不調を上司に訴え、慶応病院へ入院、そこで宣告された「第4期のガン」と。
ショックだった。もう記事を書けないと思った。
コバルトを浴びているので、体毛が抜けてきた。自分の体の変化は一目瞭然に認知できた。
きっと完治することは無いだろうけど、今はこうして病室でキーボードを叩いている。

あえて担当の医師からは余命を聞かない。いや、聞きたくない。
何か子供達に残してやりたいが、残してやれるものは何一つ無い。
情けないがこれが現実である。せめて子供達には父親の生きざまをしっかりと見て
いてもらいたい。

最後に聞きたいことは、子供達からの「父さん 好きだよ」って言われてみたい。


関連:医学の嗚咽2


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posted by さじ at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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