神奈川県湯河原町の温泉旅館「旅荘 船越」の玄関で、女将の平野洋子さん(45)が笑顔で宿泊客を出迎える。
親が創業した旅館を27歳の若さで継ぎ、テレビや雑誌でも紹介されてきた名物女将が、実は抗うつ薬や抗不安薬を手放せないことに気づく客は少ない。だが、地元の人たちは彼女の病気を知っている。
国家公務員の夫(44)を持つ平野さんは、経営と接客を一人で切り回してきた。
朝6時から旅館で働き、歩いて2分の自宅に帰れるのは日付が変わるころ。そんな生活を繰り返して迎えた2002年5月のある朝、急に胸が苦しくなった。息がしづらく心臓の鼓動が激しい。うつ病とパニック障害の併発と診断された。39歳だった。
休養を勧められたが、自分がいなければ旅館は回らないという自負があった。夫と支配人以外には病気を隠し通そうと心に決めた。
客室で苦しくなると、作り笑いを浮かべてその場を離れる。厨房で発作が起きれば、料理人に気づかれないよう控室に駆け込んだ。
家から旅館に続く坂道を歩くのがつらくなり、やがて自分には生きる価値がないと考えるようになった。
首をつろうとしたことがある。04年秋。夫と親友に電話し、「今までありがとう」と告げた。次に覚えているのは、親友に抱えられて泣いていた自分の姿だ。
湯河原町主催の文学賞があるのを知ったのは翌05年秋。「湯河原を題材にした作品大歓迎」という広報紙の文句に胸が高鳴った。
早春の梅、初夏のサツキ、秋の紅葉……。季節ごとに姿を変える湯河原が好きだ。その美しさを描いてみたい。素直にそう思った。
ひと月かけて構想を練った。うつ病の女将が周囲に支えられ、湯河原の自然の中で回復していく物語。自分と同じ境遇の主人公に、地元の美しさを語らせた。
06年2月、湯河原文学賞の最優秀賞受賞の知らせが届いた時の夫の言葉は忘れられない。「すごい。君は無価値な人間じゃないよ」
地元で祝賀会を開くという話が持ち上がった時、ある考えが頭に浮かんだ。
旅館の女将が登場するとは言え、知人の多くは完全なフィクションと受け止めている。これは私がモデルだと言ってしまえば、隠し通すことのつらさから解放されるのではないか。
当日こうあいさつした。「この小説は限りなくノンフィクションに近いフィクションです」
数日後、商店街で見知らぬ人に話しかけられた。「私もうつ病を告白したら楽になりました。ありがとう」。同じ病気に苦しむ人を私は励ますことができる。そう知ったのはこの時だ。
作品の出版を決意。同年6月に「梅一夜」(祥伝社)が出ると、「勇気づけられた」「自殺をやめた」などとつづった便りが続々と届いた。「君は自信をもっていい」。夫の言葉が一層素直に受け止められた。
今も誰にも会いたくない時がある。ただ前のように無理はせず自宅で過ごす。病状が劇的に改善されたわけではないが、作り笑いと死にたい気持ちは消えた。
新しい目標もできた。「心を病んだ人が癒やされるような宿にしたい」
そのためにはどうしたらいいか。思いを巡らせながら旅館までの坂道を歩く。(野口博文)
いい話。
しかもこの元記事の文章もうまいですね。
人間だれしも、鬱の感情は抱くものですが、うつ病やパニック障害のように「病気」になってしまうと、それは本当に苦しい上に、なかなか理解されづらく、偏見もある。
この方のように、うつ病を周囲に理解されたら、どんなに楽なことか、と思います。日本ではそれがなかなか出来ないのが難しい。むしろ、うつ病と単なる鬱の感情をごっちゃにされて、「根性がない」とすら言われてしまうのが現状です。
どうすればいいか、と考えても、なかなか難しいですよね。人となりを医療者が全部ケアできるかというとそういうわけでもないですし。トゥルーマンショー級の作られた世界というものがあれば、うつ病による自殺率は減るのかもしれませんけれど。
自分のことを本当に生きている価値がない存在だと思い込んでいる人がいて、そのまわりに環境があって、人がいて、今にも死のうとしている人を現世に残すことができる因子って、限られてしまいますよね。そこからは精神科医の限界か。それとも
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体調の悪い時はあるみたいですけど…
女将さんの笑顔がご主人
支配人旅館のスタッフの皆さん
そして…女将さんの笑顔がファンのお客さんが何よりの満足と思います
オッと…私は本を送って貰いました永田です《三重県》パニックから操うつ病になり2年になりました
薬と共にに毎日仕事しています
マダマダ治療中で定休日
以外お店閉めている事もありますが…
女将さんが頑張っている
ブログで私も何か前に進める気持ちになりました
女将さんに会える時が来るようにボチボチ仕事します
お体大切に