正直、児童施設の職員のキャラ設定とかは、批判するのはお門違いだと思う。それは、学校の先生が暴力的とか、医師があくどいとか、政治家が利権重視だとか、そういうキャラクター設定のドラマや小説には、なんのクレームもないでしょう。たぶん、特定の何かを指すわけではないし、総数が多いからだと思うんだけども。
でも、「ポスト」はまずいよね。だって、ごくごく少数だもの。特定の何かをいじったら、それはいくらお芝居だから、とか、フィクションだ、といっても、通用しない。実際にこうのとりのゆりかごで保護された子供たちだけが対象になってしまうから。
しかも、それに対してフィクションだといっても、それは実際の子供たちにとっては関係ないからね。茶化したいから茶化すんであって、それの延長にいじめがあるわけで。
例えば「福島で育ったから原発ちゃんってあだながついた子供が主役のドラマ」で、非難がこないわけがないですよね。でも今回の問題は、やっている程度が同じ。ただこうのとりのゆりかごのほうが、より少数というだけでさ。それに気づかないで「構わないだろう」と思う人がいたら、それはその人の程度の問題・成熟度合いの問題なんだと思う。
更に原発ちゃんよりポストがまずい理由として、そもそもが「こうのとりのゆりかご」という正式名称である点が挙げられる。赤ちゃんポストという偏見に満ちたレッテルを貼ったのは、他ならぬマスコミなのに、なぜそのマスコミが「ポスト」をあだ名として付けた上で、ドラマを擁護できるのだろうか。そこに正当な理由はなく、ただキャッチーだからだろう。見事に話題はかっさらっている。しかしそれでほくそえむドラマ関係者は、フィクションではなく現実に生きている子供らに弁解できるのかね?
日テレ側の対応に問題があるのは「ドラマを最後まで見てほしい」という態度だろう。ドラマを最後まで見て、たとえポストと名づけられた子供らの活躍・感動を感じたとしよう。で、それが一体現実にいる子供たちにとって何がどうプラスになるというのだろう。親のいない子供たちが、そのドラマを見て勇気づけられるというのだろうか。そもそも「フィクションだから(笑)」という言い逃れをしているのに?ドラマを最後まで見ることとは関係ないんだと思うわ。
テレビがつまんなくなる、とか言って擁護している芸能人は、ちゃんとここのところを見極めしないといけないよ。テレビ側の人間だから擁護したい気持ちは分かるが、ポストはさすがにあかん、ときっちりやるべきだし、そうでないと子供たちがテレビみれなくなるよ。今回のことを認めてしまうのはさすがにいただけない。